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輪島塗の歴史

輪島という地名は室町時代に登場しますが、
その語源となったのは倭島で『わのしま』と読みます。
これは、日本大陸との交流の起点が能登にあったことに
由来していると言われています。
  • そして、漆器そのものの歴史は縄文時代にまでさかのぼることができますが、輪島塗として確認されているものは、輪島市の中心部、河井町にある重蔵神社の中にあります。
    その輪島塗とは、「朱塗扉」で室町時代の大永4年(1524年)の作だと言われています。
  • 輪島を漆器と結びつけた文章はさらにさかのぼり、平安時代の「今昔物語」の中で登場します。この物語の中では、あらゆる願いがかなえられるという「通天の犀角帯」入りの漆桶が輪島沖に漂流したと記載されており、これが最古の輪島と漆器を結びつけた文章です。

輪島塗の魅力を語る上では欠かせない、地の粉が発見され用いられるようになったのは、安土桃山時代から江戸時代の初期にかけてです。
このころから現在の輪島塗の技法に近い技術が取り入れ始めました。
また、弱くなりがちな淵などの部分に、予め布をかぶせる「布着せ」もこのころから行われ、輪島塗の堅牢さを支える本型地技法はこの時代に完成したと言えます。

江戸時代中期の享保(1716〜1735年)では、大工五郎兵衛が沈金の技術を確立しました。
そして沈金に遅れ、文政(1818〜1829年)の時代に、会津の蒔絵師の安吉が輪島に蒔絵の技法を伝えたと言われています。江戸時代は、輪島塗の販路を広げるのに大事な時期だったと言えます。
この頃から、塗師屋が発注から販売までを統括し、デザインや品質管理も行うようになりました。
生産工程は完全な分業化が進み、それぞれの行程でプロが仕事にあたるようになったのです。
また、能登半島の海に突き出した土地柄、海上交易を積極的に利用し、東日本や西日本にも輪島塗を運ぶようになったのです。
さらに、鉄道のない時代では、背中に輪島塗をかかえ山を超え江戸まで商品を届けに行ったと言われています。明治期に入り、明治32年(1899年)に塗師屋が集まり、輪島漆器共同組合が誕生します。明治43年(1910年)の輪島大火により1200棟の家屋が焼けました。
そのため、輪島には昔を知る文章が少ないと言われています。
そして、戦争の動乱を乗り越え、現在に至ります。
現在では、時代にあった商品の改良が進み、輪島塗のスマートフォンケースや、ソムリエナイフ、ボールペンなど様々な商品が世に誕生しました。